二重の向こうにある自分を好きだという気持ち。

二重まぶたにするための手術で、一番お手軽に受けられるのは(手術なので実際お手軽ではないと思いますが・・)埋没法というものがありますね。

まぶたの裏から糸で何点か止めて二重にする方法ですが、実際にその手術を受けたお友だちが居ます。

本人は手術を受けてとっても満足そう。「よかったね~」と私は言いつつ、ただ実際、私から見ても見た目上での変化ってそれほど大きくないわけで。

それでも、彼女は嬉しそうで笑顔が増えたようでした。

結局、手術の目的ってそこだと思うんです。彼女が求めていたのは「二重」ではなく「自分を好きだと思える自分」だったんじゃないかと。

彼女が選んだのが、くっきり二重ではなく、自然な二重だったせいもあると思いますが、私は言われなければ気づきませんでした。

そんな小さな変化でも彼女の中では大きな変化につながったのなら、それだけで手術を受けた意味があったと思うのです。

整形手術には色んな意見があるでしょう。「親からもらった大事な身体に何してんだ?!」とかね。でも、そんな綺麗事ではなくて、大事なことは自分を好きでいられること。

その方法が整形手術であるのであれば、私は何の問題もないと思うわけです。

もちろん、限度はありますけどね。何事もほどほどが一番です。

一重まぶたの悲劇

 人間の眼球の大きさはどの人もほとんど同じなのだそうです。とてもそうだとは思えませんよね。二重瞼のぱっちりした目の女性は、目が大きくて可愛らしいと言われ、重い一重まぶたの女性はそれだけで「目が細い」だの「暗い」だの「きつそう」だのと散々な評価を受けます。例え一重でも顔が小さければまだ救いようもありますが、私などは一重まぶたの上にしもぶくれで父親譲りの大きな顔。バランスが悪いにもほどがあります。

 母親に二重瞼に整形したいと話したら、渋い顔をされました。そんな母はくっきりとした二重瞼。「平安時代はあなたみたいな顔が美人だったのよ」と訳の分からない慰め方をされても一向に説得力がありません。もちろん父親は大反対。私と同じしもぶくれの大きな顔ではありますが、なんと父も二重瞼なのです。いったいどうしてこんな顔になったんだろうと、歴史を紐解いてみると、なんとひいおばあちゃんと私の顔が瓜二つでした。ご先祖様にこんなことを言いたくありませんが最悪です。

 とにかく高校を卒業するまでし我慢しなさいということで、話は落ち着いたのですが、せっかくの若くて楽しい時期を二重瞼で過ごしたかったと30歳をすぎた今でも思っています。日本は整形に対する偏見がまだまだ強い国。韓国の女性の様に美容院にでも行くような感覚で、整形できる日が早くくるといいですね。